iPodをやめないで
Apple iPod touch 32GB 第6世代 2015年モデル シルバー MKHX2J/A
- 出版社/メーカー: Apple Computer
- 発売日: 2015/07/17
- メディア: エレクトロニクス
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iPhoneの販売数が増えるにつれ、だんだん、iPodなど音楽プレーヤーの意義が下がっていることは明らかだ。最近はスマホで音楽を聴いている人も多い。
とはいえ、iPodが完全になくなってしまうと困る。 ほとんどボクの持つ音楽はiPodで聴いているからだ。 また、ボクの音楽は すべてiTunes化されているから、iTunesからダウンロードできる音楽プレーヤーがないとすべての音楽が利用できなくなってしまう。
もちろん、iPodではなくiPhoneがあればいい、のだが、iPhoneは高価なので貧乏人の自分にはスマホ用途には使えない。(^_^; また、iPhone 5だと思うが、音楽を聴いたところ、笑ってしまうほど音質が悪く、音楽用としてはまったく使いものにならなかった。
ハワイの高層マンションで火災 日本では・・?
ロンドンに続き、またか。 (他にあっても報道されていないだけかもしれない・・。)
こういう火事が起きると日本の高層ビル・マンションでも火事が起きたらどうなるのだろうと心配になる。
ロンドンやハワイのマンションにはスプリンクラーが設置されていないが、日本の高層ビル・マンションではスプリンクラーがあるし、各戸が壁で区切られているから同じような火事は起きない、というような報道がされていた。
もっとも、そうだからといっても不安は残る
・10階以上の階はスプリンクラー設置の義務はあるが、10階以下の階には設置しなくともかまわない。そのため、建物の下の階にはスプリンクラーがない。( 建物によっては全階にスプリンクラーが設置されているものもある) だから、スプリンクラーのない下の階から大きく燃えだして上階に燃え移る可能性はある
・スプリンクラーは初期消火を目的にしたものだから、初期消火に失敗すると火事は広がってしまう。キッチンの油に着火した場合、スプリンクラーで消せるものだろうか? (おそらく人間が消火器で消すのだろうな。)
・各戸が壁で区切られているとは言っても、通常はコンクリート壁ではなく、石膏ボードで区切られているだけだ。石膏ボードが火に強いとはいえ、火が大きくなると延焼を防ぎきれるのか、と言う問題は残る。 また、爆発的に燃えた場合は、石膏ボードが割れたりしそうな気がする。
日本では、マンションで大きな火事が起きたというのは聞いたことがないが、スプリンクラーや各戸の壁の防護措置で助かったというのではなく、たまたまこれまで大火事がなかっただけかもしれない。
大災害というのはたいてい「想定外」のことが起きたときに発生するもの。海外より日本の設備が整っているというだけでは防ぎきれない可能性がある。 そうしたことをそのことを常に考えておく必要があると思う。
音から入る人、歌詞から入る人
ある音楽を好きになるのは、「音から入る人」と、「歌詞から入る人」がいるようだ。
ある音楽のこのメロディ、フレーズが素晴らしいのでそれを好きになる「音から入る人」のに対し、そこに述べられた情景、人の思いが素晴らしいので、その曲を好きになるのが「歌詞から入る人」だ。
ボクな典型的に「音から入る人」なので 歌詞の意味がわからない洋楽を好きだし、歌詞のないインストルメンタルな曲も問題ない。クラシックの曲も好きだ。 日本の曲の中でも「音から入る」ので音的にイケてるものでないと好きになることはほぼない。
歌詞から入る人は洋楽のような音楽は苦手で日本の曲しか聴かないかもしれない。 また日本の音楽も発展して多くのミュージシャンが日本人好みの曲を作っているから、あえて海外の音楽は聴く必要がない、という人も多そうだ。
が、日本の音楽では革新的なものが出づらいので洋楽を聴かない人が多いとすると そのあたり、 残念なところだ。
不思議な音楽話し(3)
■4 レコード会社
レコードというものがほとんどなくなったにもかかわらず、おもしろいことに、いまだ「レコード会社」と呼んでいる。 もっともCD会社というのも変な感じもするし、実際にレコーディングをしているのだから、レコード会社でもあながちウソというわけでもないかも。
そもそもレコード会社というのは音楽をレコードという媒体製作をする会社だったではないかと思う。が、そのうち、とレコードの内容(音楽)を作り、世の中に販売・マーケティングする機能が追加されていったのだろう。
レコード会社は音楽業界で最も大きな存在になっている。
そのため、アーティストもレコード会社に認められてメジャーデビューすることで 全国的に販売され収入を得たいと思っている。
ライブ・コンサートにおいてもCD発売されているミュージシャンが、CDに含まれている曲を観客の目の前で披露する、というのが一般的で、CD発売されない、ミュージシャンはコンサートを開くことが難しい、などここでもレコード会社の力は大きい。 もっとも、CD「録音された」音楽をライブ・コンサートで「再現する」のを聴きに行く、というのは少々、変なことかと思う。
『違和感がある』には違和感を感じる
ボクだけなのかもしれないが、TVなどで『違和感がある 』と言っていると違和感を感じる。
「ある」、ということは、、違和感ってその辺に転がっているものなのか? ほんらい、「感」なのだから、その人が『感じている』ということでしょう。
ここでの「ある」と言う表現は、一般的に存在している、皆が認めている、と言うことではないのかな。 でも、ほんとうはその人だけが感じていることだったりする。
そういう人が、「違和感がある」と表現するのは、 自分が感じているということをぼかして皆が思っているんだ、一般的にこうなんだ、(だから)自分が主体的に考えているんじゃない、と暗に伝えているのはないか、と思える。
一種の責任回避だ。 ボクとしては「違和感を感じる」と表現して違和感を感じている「主体」(=自分)を明らかにして話したいと思う。
細かい言葉を気にするオヤジの時代遅れな単なるうるさいエントリーと思うが、実は言葉はいつも新しくなるんだから言葉や表現は変わっていいと思う。
ただただ、 この「責任回避」的なニュアンスががとても気になる なんだ。